鳥栖 参志の人・技 壱「くすり」

         

 

貼り薬の田代売薬、日本四大売薬にまで発展。

 対馬藩田代領(つしまはん たじろりょう)では江戸時代の中頃から薬を製造し、販売する者たちが出てきた。

 やがて田代の売薬人たちは、「先用後利(せんようこうり)」という手法を学び、田代領外へと販路を開拓し始める。

 「朝鮮名法(ちょうせんめいほう)」というブランドを使った商品が人気になると、お得意さんは九州各地、そして中国・四国地方にまでひろがっていくのであった。

 そしてその人気は、「貼り薬」の誕生で決定的となる。

 田代売薬は全国区となり、越中(富山県)、大和(奈良県)、近江(滋賀県)と並ぶ日本四大売薬のひとつに数えられるほどに発展していった。

 

 中冨 三郎(なかとみ さぶろう)

(1876〜1957)

  

 久光製薬株式会社の3代目社長。

 貼り薬「朝日万金膏」の難点であった体に黒い跡が残る点を解消した白い貼り薬を新たに開発した。 

 高島 熊吉(たかしま くまきち)

(1870〜1948)

 

 田代売薬の看板商品である貼り薬「朝日万金膏」開発者の1人。その技術は同業者や滋賀県・奈良県の有志に伝授した。

 また、売薬人の養成にも尽力し、田代売薬の発展に貢献した。

 売薬人さん

 

  

 柳行李を担ぎ、薬を各家庭に置いてもらうために各地を回った。

 「先用後利」の商売の基本は客との信頼関係であり、信頼を積み重ねることで地域に浸透していく。

 薬を売るだけでなく、各地を回ることで得た知識や情報も伝えていた。時にはその情報網を駆使して仲人になることも。

 

 先用後利(せんようこうり)

 

 

 各家庭に薬を預け、使った分だけお金をもらうという後払いシステム。近くに必ずしも医者がいなかった当時の人々からは、身近に常に薬を置いておけるこのシステムは大変重宝されたという。

 お互いの信頼関係が成せる日本独特の商法である。

 

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更新日:2018/6/14