鳥栖市の紹介

九州高速の結節点 鳥栖JCT

 

   鳥栖市は、九州の縦軸と横軸が交わる“クロスポイント”です。
 民間経済誌の住みよさランキング(2010年版)では、九州第1位(7年連続)、全国で第4位(全国787都市)にランクインしています。日本全体の人口が減るなかで、現在も人口が増加しており、活力のある都市として注目されています。
 一方、都市化する中心部から一歩離れると、田園地帯や河川など緑豊かな自然に恵まれており、都市部と自然環境がバランスのとれた街となっています。
 

 そして、今年3月には九州新幹線が全線開通、新鳥栖駅が開業し、これまで以上に交通の要衝としての機能が向上するとともに、九州内はもとより、近畿、中国地方との交流人口の拡大が見込まれます。

 2010年5月には、世界最大級のクラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」の開催地となり、世界中から一流の演奏家を招き、西日本一円から鳥栖市の人口規模を上回る約7万人の方々に来場いただきました。
 また、平成25年には新鳥栖駅前に世界最先端のがん治療“重粒子線がん治療”を行う「
九州国際重粒子線がん治療センター」(愛称:サガハイマット)が開設(予定)されます。
これからも、鳥栖市は九州のクロスポイントとして、人や物の交流拠点都市として街づくりに取り組んでいきます。


 【鳥栖市のプロフィール】(H23年8月末現在)

◆市名:鳥栖市(とすし) ◆市制施行:昭和29年4月1日(5町村合併)
◆人口:69,272人(佐賀県内第3位) ◆世帯:26,657世帯
◆面積:71.73キロメートル
◆隣接市町:佐賀県基山町、みやき町、福岡県久留米市、小郡市、那珂川町

◆鳥栖出身のおもな著名人

 孫正義(実業者)、権藤博(プロ野球 元監督)、緒方孝市(プロ野球 コーチ)

 松雪泰子(女優)、園田英樹(「ポケットモンスター」脚本家)

◆地名の由来 鳥栖という地名は、その字のとおり「鳥の栖(すみか)」という意味です。

奈良時代に書かれた「肥前風土記」によると、ここに住む人々が鳥小屋を作り、雑鳥(くさぐさのとり)をつかまえてかいならし、朝廷に献上したことから「鳥屋の郷」(とりやのさと)、「鳥樔(巣)郷」(とすごう)と呼ばれ、のちに鳥栖という地名になったと伝えられています。

駅の隣にあるスタジアム

 市の中心部に位置し、九州の鉄道のクロスポイントであるJR鳥栖駅。そんな鳥栖駅からわずか徒歩3分の場所に鳥栖スタジアム(ベストアメニティスタジアム)があります。
スタジアム完成はJリーグ創設間もない1996年。当時の人口約5万7千人の小さな街に、収容人員2万5千人、当時としては珍しい屋根付球技専用スタジアムが完成しました。スタンドの屋根を支える鋭く尖った鉄骨の柱は、弥生の里と言われる鳥栖市から出土した弥生時代の細形銅剣をモチーフにデザインされたもので、スタジアムには緑のフィールドが広がっています。

 スタンドは2層3階建の構造で、足がすくみそうなほど急峻なスタンド(傾斜角度約40度)は、選手の息遣いが聞こえそうな程ピッチを近くに感じさせ、どの席からでも観戦しやすい構造となっています。

 鉄骨剥き出しのスタンド、屋根付箱型のスタジアム形状、ゴール裏の立ち見席(テラス)を備えているなど、イングランドスタイルのスタジアムで、全国屈指のスタジアムとなっています。(週間サッカーマガジン「世界のスタジアム49選」に選定:日本からは3施設のみ)

 フィールドに広がる緑の絨毯のような天然芝は、自動給排水システムにより 1年を通じて良好に管理され、選手達からも高い評価を得ています。鳥栖スタジアムは、サガン鳥栖のホームスタジアムとして、年間約12万人の来場があるほか、サッカーのみならず、ラグビーや文化イベントなど多目的に使用され、スポーツ文化の交流拠点となっています。 

 

 

鳥栖スタジアムヒストリー

1.鳥栖スタジアムデビュー!〔こけら落とし:1996年6月16日〕

 1996年6月16日、鳥栖スタジアムがオープンしました。
 こけら落としのカードは鳥栖フューチャーズ対本田技研戦。
 この日を待ちわびた大勢の市民やサポーターらが訪れ、当時のリーグ(JFL)最多記録となる2万686人の観客を記録しました。
 前日からテントを張った徹夜組も現れ、開場前には長蛇の列ができました。

 

 

2.サポーターの願いが届く〔サガン鳥栖設立:1997年2月4日〕

 スタジアム建設に先立つ1994年、鳥栖市にプロサッカークラブ“鳥栖フューチャーズ”が誕生、鳥栖市は九州で初めてのプロサッカーチームのホームタウンとなりました。
チームには元日本代表GK松永選手、カメルーン代表タタウ選手ウーゴ・マラドーナ選手らが在籍し、毎年のように昇格に絡んでいましたがあと一歩で届かず、1996年シーズン終了後、運営会社の巨額の赤字により、突如チームの解散が発表。
 鳥栖から“Jのともし火”を消すまいと、当時のサポーターが決起。鳥栖駅前で多くのサポーターがチーム存続の署名活動を実施。全国から約5万人の署名を集めました。
 そして翌97年2月、Jリーグより新チーム“サガン鳥栖”の設立が認められ、小さな街の小さな市民クラブとして再出発しました。そして今、夢である“J1昇格”に向け挑戦し続けています。

 

3.“不屈のライオン”カメルーン代表との親善試合〔2002年5月24日〕 

 2002年5月24日、日韓W杯に出場するため来日していたカメルーン代表とサガン鳥栖との親善試合が開催されました。世界一流のプレーヤーと地元クラブチームの試合を17,062人が観戦しました。試合は、カメルーン代表エトオ選手(スペイン・FCバルセロナ、イタリア・インテルなどに所属)のゴールでカメルーンが1対0で勝利しました。

 

4.子ども達の夢の実現「スタジアムを満員にしたい!」:夢プラン21〔2006年11月12日〕

 2006年11月12日(対湘南戦)、スタジアムはこの日18,231人の大観衆で埋め尽くされました。
 鳥栖市内の小中学生の夢をかなえるための市の事業「夢プラン21」において「スタジアムを満員にしたい!」という小学生の夢に取り組みました。小学生によるチラシ配りやテレビで出演など、子ども達と地域が一体となり集客活動を展開、「夢」だった満員には届かなかったものの、スタジアム歴代2位の18,231人の観客を記録しました。

5.子ども達の夢をつなぐ21,029人!:2008年ブリヂストンデー〔2008年9月20日〕

 2006年11月12日(対湘南戦)、スタジアムはこの日18,231人の大観衆で埋め尽くされました。
 鳥栖市内の小中学生の夢をかなえるための市の事業「夢プラン21」において「スタジアムを満員にしたい!」という小学生の夢に取り組みました。

 小学生によるチラシ配りやテレビで出演など、子ども達と地域が一体となり集客活動を展開、「夢」だった満員には届かなかったものの、スタジアム歴代2位(当時)の18,231人の観客を記録しました。
 サガン鳥栖のユニフォームスポンサーであるブリヂストンは、2006年の「夢プラン21」に協力以降、毎年「ブリジストンデー」と銘打ち子ども達の夢をつないでいます。(今シーズンは9月25日(日)対湘南戦)
 

 2008年のブリヂストンデーには「2万人の夢結蹴」を合言葉に、佐賀県、福岡県の4工場などが協力。ついに9月20日対熊本戦において21,029人の観客を集め、夢の2万人超えを達成しました。

 

6.銅色に輝くエンブレム:地元高校生によるチームエンブレム作製〔2011年4月30日

 スタジアムの南北ゲートとチケット売場には、銅色に輝くチームエンブレム。
 これは、地元鳥栖工業高校の生徒達が「スタジアムにチームエンブレムを掲げたい」との熱い思いから、生徒達自らが“若き職人”となって、重厚で立派なチームエンブレムを完成させました。

 そして、今シーズンのホームゲーム開幕戦(4月30日(土)対東京V戦)、 生徒達から鳥栖市長へ贈られ、スタジアムでサポーターを出迎えています。

  

7.U‐22日本代表戦の開催〔2011年9月21日〕

 男子サッカーアジア最終予選/ロンドンオリンピック予選(U‐22日本代表対U‐22マレーシア代表)がついに鳥栖市で開催。
 県内初となる日本代表の公式戦。チケットは当日を待たずに完売し、開場前の入口には、全国から駆け付けたサポーターによる長蛇の列。

 日本中が注目したこの一戦は、2−0でU‐22日本代表が見事勝利!観客動員数は、2008年ブリヂストンデーの記録をぬり替え、22,504人のスタジアム新記録を樹立しました。(2011シーズン最終戦に記録更新) 

 

8.2011シーズン最終戦:悲願のJ1昇格〔2011年12月3日〕

 2011シーズン最終戦はロアッソ熊本との九州勢対決。長く苦しい時代を乗り越え、ついに夢が実現する。

 J1昇格の瞬間を一目見ようと、多数のサガン鳥栖サポーターの姿。中には、サガン鳥栖の前身「鳥栖フューチャーズ」のフラッグを掲げるサポーターも。スタジアムは22,532人(スタジアム新記録を樹立!) 試合は2−2の引き分けであったもののJ1昇格を成し遂げた。

 

 

■ お問合せ先

〒841-0034 佐賀県鳥栖市京町812番地(ベストアメニティスタジアム内)
鳥栖市役所 健康福祉みらい部 スポーツ振興課 スポーツ振興係
電話番号 0942-85-3522 FAX 0942-81-1361
e-Mail sports@city.tosu.lg.jp

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更新日:2015/6/12