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60年のあゆみ 1994年〜2003年

21世紀を展望した新しいまちづくりに向けて、鳥栖駅周辺市街地整備事業をはじめ鳥栖北部丘陵新都市開発整備事業、九州新幹線建設事業などの将来の発展を見据えた大型プロジェクトが進んでいきます。
JR鳥栖駅東に「サンメッセ鳥栖(鳥栖市定住・交流センター)」や「鳥栖スタジアム」が完成し、鳥栖北部丘陵新都市では住宅の建設や企業進出が着々と進んでいきました。

 

新しい鳥栖の顔 鳥栖スタジアムが完成

鳥栖スタジアムはJR鳥栖駅に隣接して1996(平成8)年6月に誕生しました。
構造は、大屋根とオープンな客席空間が大きな特徴で、スタンドの屋根を支える鋭く尖った鉄骨の柱は、弥生時代の細形銅剣をモチーフにデザインされています。
また、約2万5,000人を収容するスタンド(2層3階建、傾斜角度約40度)はピッチ全体を見渡すことができ、どの席からでも観戦しやすい構造です。フィールドは緑の天然芝が広がり自動給排水システムにより1年を通して良好に管理され、日本屈指のスタジアムとして、観戦するサポーターやプレーする選手たちからも高い評価を得ています。

 

こけら落としとして行われた鳥栖フューチャーズ対本田技研戦。2万686人が大声援を送りました。

 

牟田市政がスタート

1999(平成11)年3月、牟田秀敏氏が第5代の鳥栖市長に就任しました。

牟田新市長は「ハートオブ九州」を目指したまちづくりを基本姿勢とし、市政の重要課題に取り組みました。市の行財政改革をはじめ、鳥栖流通業務団地整備事業、九州新幹線鹿児島ルートの建設、新鳥栖駅周辺整備事業といった大型事業を着実に進めました。

 

第5代市長 牟田秀敏氏

 

※牟田氏の市長就任期間…1999(平成11)年3月〜2007(同19)年3月

 

九州新幹線と新駅整備

2000(平成12)年、九州新幹線整備にともない、在来のJR長崎本線との交差部に新幹線駅である「新鳥栖駅」の設置が正式決定されました。さらに、長崎本線との相互乗換えのために、長崎本線にも新幹線駅に接続する在来線の新駅が設置されることになりました。

 

新鳥栖駅

 

大型商業施設の誘致と移り変わる商店街模様

鳥栖市内の小売業の売り場面積の推移を見ると、1997(平成9)年以降急激に増加します。これは、1994(同6)年10月のニコニコ堂鳥栖店(当時)の出店、1997(同9)年のジョイフルタウン鳥栖(当時)の開店、鳥栖北部丘陵新都市の大型ショッピングセンター(鳥栖プレミアムアウトレット)の建設など、大型商業施設の誘致が続いたことに大きく関係しています。

一方、市内の歴史ある小売店が姿を消していきました。1994(同6)年には、23年続いた本鳥栖町Aコープ、1998(同10)年には、スーパーマルキョウが閉店しました。

 

大型ショッピングセンターの進出

 

 

 この時期に操業した誘致企業 ※企業名はいずれも当時の名称

 

 ・トーホー ・東洋新薬    ・祭原・鴻池運輸     ・ポオトデリカトオカツ
 ・九電工  ・HOYA      ・ユニファ        ・チェルシージャパン
 ・岡部   ・日立金属工具鋼 ・理工協産        ・神明
 ・TOWA  ・山下医科器械  ・日立物流        ・八幡ねじ
 ・アステム ・SUS      ・日本生活協同組合連合会 ・データプラス

 

 

新市街地の建設と拠点整備

鳥栖駅東土地区画整備事業

JR鳥栖駅の東側に残された広大な旧国鉄鳥栖操車場とその周辺を含む28.1haに、1992(平成4)年から2006(同18)年にかけて鳥栖駅東土地区画整理事業が施行され、交流都市の新たな拠点市街地を目指した整備が行われました。
1995(同7年)に「サンメッセ鳥栖(鳥栖市定住・交流センター)」、1996(同8)年には鳥栖スタジアムが完成しました。

また、JR鳥栖駅構内に東西にまたぐ歩行者用連絡橋「虹の橋」も1996(同8)年完成。鳥栖駅の出入り口は西側だけで、東側までには1km以上のまわり道が必要でしたが、徒歩による利便が大幅に改善されました。

 

建設中のサンメッセ鳥栖(平成5年)

 

鳥栖北部丘陵新都市

鳥栖市北部(基山町も含む)に広がる丘陵地(総計250ha)のエリアに土地区画整理事業が施行されました。このうち鳥栖市域内の「弥生が丘」210haは、2001(平成13)年3月に「街びらき」が行われました。また、同地区の東側を走るJR鹿児島本線に、同年、新都市の玄関口として弥生が丘駅が開設されました。

 

北部丘陵新都市整備事業竣工記念(平成15年)

 

蔵上地区の土地区画整理事業

鳥栖市中心市街地の西に広がる蔵上地区45.2haに、土地区画整理事業が実施され、住宅地の開発が行われました。平成3年度から14年度にかけた事業で、計画人口は約3,500人、佐賀県住宅供給公社の分譲住宅も含む約1,000戸の戸建て住宅が建設が計画されました。

 

鳥栖市にプロサッカーチームが誕生

静岡県浜松市で創部し、Jリーグ入りを目指していたPJMフューチャーズが1994(平成6)年3月に本拠地を鳥栖市に移転。鳥栖市のプロサッカーチームの歴史が始まりました。同年8月、クラブはJリーグ準会員入りが正式に承認され、チーム名も「鳥栖フューチャーズ」に変更し、夢の実現に向け新たなスタートを切りました。
積極的な補強でJリーグ昇格を目指すものの、3年連続でJリーグ昇格に失敗。1996(同8)年11月、主力スポンサーが撤退を発表し、運営会社の解散が決まり、チームの存続自体が危ぶまれる事態となりました。

 

 

5万人の署名活動、そして「サガン鳥栖」発足

チームの存続自体が危ぶまれる中、チームの存続を信じるサポーターを中心に1,000人を超える大決起集会が行われ、5万人以上の署名が集められます。サポーターの熱意がJリーグを動かし、チームは存続し、残った8人の選手とともに、市民チームとして新たなスタートを切りました。
1997(平成9)年2月、佐賀県サッカー協会や鳥栖市サッカー協会など6団体が運営するチーム「サガン鳥栖」が発足しました。1998(同10)年9月、翌年から移行するJ2リーグに条件付きながらも入会が認められ、J2発足時の10クラブの一つとなりました。

 

サポーターらによる署名活動(JR鳥栖駅前)

 

 

1994〜2003年 この時期のできごと

 1994(平成6)年  市の鳥「メジロ」に決定
   フューチャーズのホームタウン移転
   蔵上土地区画整理事業起工
 1995(平成7)年  定住・交流センターが完成、愛称は「サンメッセ鳥栖」に決まる
 1996(平成8)年  鳥栖駅東西連絡通路「虹の橋」開通
   市内最大の集客施設「鳥栖スタジアム」が完成、こけら落としに約2万人が入場
 1997(平成9)年  フューチャーズ解散受け、新たに「サガン鳥栖FC」発足
 市陸上競技場が蔵上町に完成
 県内最大の複合商業施設「ジョイフルタウン鳥栖」がオープン
 1998(平成10)年  北部丘陵新都市「弥生が丘」住宅分譲を開始
 1999(平成11)年  第5代市長に牟田秀敏氏
 県下初の障害児通園事業専用施設「ひかり園」が開園
 

 鳥栖市人口6万人突破

 2000(平成12)年  鳥栖スタジアムで初の国際試合「キリンカップ2000大会」ボリビア対スロバキア戦を開催
 2001(平成13)年  九州新幹線全線着工・新鳥栖駅設置正式決定
   宿泊型体験施設「市村自然塾・九州」を河内町の旧河内小学校跡地に開設
 2002(平成14)年  「第1回長崎街道まつり」開催
 2003(平成15)年  鳥栖商野球部が夏の甲子園で、県勢としては9年ぶり3回目となるベスト8に進出



 

 

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更新日:2019/2/4