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企画展「令和の発掘速報展」
開催期間
令和3年11月3日~12月5日
はじめに
鳥栖市は高速道路やJR、国道が縦横に走る、九州の交通の要と言える立地にあります。そのため、工場や流通倉庫の建設、宅地造成など、さまざまな開発が行われてきました。近年でも市内の工事件数は多く、工事に先立って行われる「埋蔵文化財のある・なし」の問い合わせは、例年100件以上にのぼります。
こうして市域が発展していく一方で、開発工事の前に埋蔵文化財を「記録保存」するための発掘調査が行われてきました。
発掘調査による「記録保存」は、開発工事によって埋蔵文化財が破壊されることを前提としています。これには賛否ありますが、地域の歴史を示す情報が多量に得られる、貴重な機会でもあります。ここでは、最近鳥栖市内で行われた、5つの遺跡の調査成果を紹介します。
site.1 古賀遺跡
所在地:鳥栖市古賀町~宿町
遺跡の時代:縄文時代~江戸時代
最近調査を行った時期:令和元年(2019)5月~7月
調査を行った回数:3回
〈遺跡の東側上空から撮影した様子、左上に竪穴住居が見えています〉
宅地造成をする前に行った発掘調査で、弥生時代の終わりから古墳時代の初めごろにかけて、人びとが生活していたムラの跡が見つかりました。調査をした場所では、竪穴住居3軒を確認しています。中でも302号住居は、2本の柱で屋根を支え、柱と柱の間に調理などに使う炉がある様子が、非常によくわかります。竪穴住居では、調理や貯蔵、盛り付けに使っていた、さまざまな形の土師器(はじき)というやきものが出土しています。
〈303号竪穴住居では、当時の人びとが調理や食事に使っていた土器がたくさん見つかりました〉
site.2 本原(ほんばる)遺跡
所在地:鳥栖市原町字本原、大手木、笹尾
遺跡の時代:弥生時代~奈良時代
最近調査を行った時期:令和元年(2019)9月~12月
調査を行った回数:4回
〈国道3号原町交差点の上空から撮影した遺跡の様子〉
〈401号竪穴住居と38号ピット、どちらも7世紀後半の遺物が見つかっています〉
国道3号の車線を増やす工事の前に、発掘調査を行いました。原町交差点のあたりで、古墳時代の終わりから奈良時代にかけての集落跡が見つかっています。この地域は、奈良時代に編まれた『肥前国風土記』に記述のある「基肄郡姫社(ひめこそ)郷」の範囲と考えられています。
竪穴住居3軒と掘立柱建物、井戸、土壙墓(どこうぼ)を確認しています。住居や井戸からは、赤みを帯びた土師器(はじき)と青灰色の須恵器(すえき)の、二種類のやきものが出土しました。
〈本原遺跡で見つかった、奈良時代の食器と砥石〉
site.3 門戸口遺跡
所在地:鳥栖市宿町字原田、野添
遺跡の時代:縄文時代~室町時代
最近調査を行った時期:令和元年(2019)10月~令和2年(2020)12月
調査を行った回数:1回
〈南東側の上空から見た門戸口遺跡、今はここに新しい市庁舎が建っています
〈1号土坑にはたくさんの土器が捨てられていました〉
新しい市役所がグラウンドに建てられることになったので、その前に発掘調査を行いました。門戸口遺跡で行われた、初めての本格的な調査です。竪穴住居15軒と掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)6棟、ゴミ捨て用の穴などが見つかりました。捨てられていたゴミから、奈良時代の終わりごろまでこの場所で暮らしていたことがわかりました。
22号住居では文字を刻んだ糸紡ぎの道具(紡錘車(ぼうすいしゃ))が、1号土坑では秤(はかり)のおもり(権(けん))が見つかりました。どちらも役所と深く関わりのあるものです。奈良時代にこのあたりを治めた役所は、養父町にあったと考えられています。門戸口遺跡には、役所に勤める人びとが住んでいたのかもしれません。
〈1号土坑から見つかった土師器・須恵器と「権」という秤のおもり〉
〈石製の紡錘車には文字が刻まれていました〉
site.4 四ツ木遺跡
所在地:鳥栖市曽根崎町
遺跡の時代:弥生時代、平安時代~鎌倉時代
最近調査を行った時期:令和2年(2020)5月~7月
調査を行った回数:6回
〈基里運動公園の上空から北向きに撮影した遺跡の様子、溝の埋め土には土器が入っていました〉
国道3号の車線を増やす工事の前に、発掘調査を行いました。調査したのは基里運動公園の近くで、弥生時代のムラの跡が見つかっています。幅1.5メートル・深さ1.2メートルの、北西から南東に走る溝を確認しました。この溝を埋めていた土の中からは、弥生土器がたくさん出土しています。このころのムラと、外界を区別するための施設だったのかもしれません。
なおこの溝は、国道3号に沿って長く延びている可能性があります。いつか、この溝の続きが発見される日が来るでしょうか。
〈溝で見つかった弥生土器(左・中央)と石の鏃(やじり)〉
site.5 国指定史跡 勝尾城筑紫氏遺跡
所在地:城山(鳥栖市牛原町、山浦町、河内町)
遺跡の時代:戦国時代
最近調査を行った時期:令和2年(2020)10月~12月
〈尾根の背にあたる場所で、大小さまざまな大きさの石を敷いた跡が見つかりました〉
この遺跡は戦国時代の山城で、城山山頂から麓にかけて、城や防御施設、城下町が非常に良く残っていることが評価され、平成18年1月に国の史跡に指定されました。これまで何度か、山城の詳細を調べるための特別な発掘調査を行っています。
令和2年10月から12月にかけては、城山の南東に位置する「葛籠(つづら)城跡」という場所で、戦国時代にどのような施設が造られていたのかを確認するため、調査を行いました。この葛籠城は、家臣団の住んでいた城下町を守る役目を担っていた、二重の空堀(からぼり)と土塁(どるい)を持つ城です。発掘調査では、土を盛り固めた土塁、地面に石を敷きつめた施設、柵の跡などが見つかりました。
site.6 本川原(ほんごうら)遺跡
所在地:鳥栖市永吉町字本川、姫方町字本川原、田代昌町字石町
遺跡の時代:縄文時代~平安時代
最近調査を行った時期:令和3年(2021)5月~令和4年3月
調査を行った回数:6回
※注:企画展開催時は発掘調査中でした
〈上空から撮影した遺跡の様子、四角い穴が竪穴住居です〉
〈竪穴住居には屋根を支える柱の穴があり、煮炊きや食事に使っていた道具が見つかりました〉
土地の形を変え、新しく建物を建てる計画が立てられたので、国道3号、永吉交差点の近くで5月から発掘調査を行っています。
永吉交差点から鳥栖インターの入口までは、今の幅に道路を拡げる工事の前に発掘調査をしました。そのときには、古墳時代の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)2基と竪穴住居8軒を確認しています。また、長崎自動車道を造る工事の前にも発掘調査をしており、このときには古墳時代から奈良時代にかけて、人びとが暮らしていた村があったことがわかりました。現在行っている発掘調査では、竪穴住居をはじめとする昔の生活のあとや、煮炊き・食事に使った道具の破片などが見つかっています。
おわりに
鳥栖市には、現在確認されているだけで200か所近い遺跡があります。そしてそこからは、いにしえの人びとの暮らしをうかがわせる、さまざまな道具や生活の痕跡が見つかっています。そしてこれらの痕跡には、当時の人びとが交流していた他地域の影響も見られます。
この地域は、西の脊振山系と東の二日市地峡帯に挟まれた、筑紫平野から佐賀平野への南出口にあたります。奈良時代以降は、肥前・筑前・筑後三国の国境が接する位置となり、官道や街道が敷かれました。九州の中を、東西南北のいずれへ動くにも必ず経由する場所であることから、人やモノをつなぐ重要な地点であったのです。
鳥栖市に伝えられた歴史的資料には、このような人やモノ、その背景にある文化の交流を示す記録が数多く残されています。これからも、埋蔵文化財をはじめとする資料から、鳥栖市の歴史と文化をご紹介していきます。