ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 教育部 > 生涯学習課 > 企画展「平成27年度発掘調査成果展―埋もれた鳥栖の歴史文化遺産を探る―」

本文

企画展「平成27年度発掘調査成果展―埋もれた鳥栖の歴史文化遺産を探る―」

記事ID:0053341 更新日:2022年12月19日更新 印刷ページ表示
<外部リンク>

開催期間

平成28年7月12日(土曜日)~8月12日(金曜日)

H27年度成果展会場風景

はじめに

「埋蔵文化財」とは地下に眠る文化財のことで、その場所を遺跡と呼びます。鳥栖市内には約190カ所(平成28年7月時点)の遺跡が所在しています。
これらは「国民共有の財産」と位置付けられており、法律で保護されています。可能な限り現地で保存して次世代に伝えていきたいものですが、開発などで困難な場合は、事前に発掘調査を行い、その記録を保存するという形で開発と文化財の調整を行っています。
平成27年度は、原町の本原(ほんばる)遺跡、本鳥栖町の京町遺跡、勝尾城筑紫氏遺跡の出城である葛籠城(つづらじょう)跡の3件の発掘調査を実施しました。今回の調査では、弥生時代から室町時代にかけての集落遺構と戦国時代の葛籠城跡では通路遺構が検出されました。
本成果展が市内に所在する歴史文化遺産に触れる機会になりますとともに、郷土の歴史や文化財に対する理解の一助となることができれば幸いです。
最後になりましたが、文化財保護にご理解とご協力をいただきました地権者のみなさまならびに発掘調査に従事された方々に厚くお礼申し上げます。

1.本原遺跡の調査

遺跡は、山下川右岸(西側)の低位段丘上に所在しています。
調査区は遺跡の南端に位置し、標高11mの低位段丘から西側の大野川に向かってなだらかな傾斜となっています。
現況は畑でしたが、戦前には果樹園として利用され、その痕跡も確認できました。
調査区の面積は約2000平方メートルで、弥生時代後期の溝1条、古墳時代~奈良時代の住居跡6軒、溝6条、土坑13基を検出しました。

本原遺跡の全景
〈上空から見た本原遺跡の様子〉

 

弥生時代後期の溝は、幅約2.5m、深さ0.5mの断面逆台形で、丘陵の尾根を北西から南東に遮断するように調査区外まで延びていました。
付近に同時期の住居跡等はなく、集落がどのような形態だったのかは明らかではありません。

弥生時代の溝 溝から出てきた弥生土器
〈左:弥生時代の溝のあと、右:溝から出土した弥生土器〉


古墳時代の住居跡は、調査区西半部の緩やかな傾斜地で検出し、集落は調査区外へ広がるようです。
また、1軒の住居跡や土坑からは土製模造鏡が出土しており、何らかの祭祀を行い、その後に廃棄されたものと考えられます。
古墳時代の住居跡 土で作った鏡状の製品
〈左:古墳時代の住居群、右:土製模造鏡〉

 

2.京町遺跡の調査

京町遺跡は、九千部山系から派生する低、中位丘陵の先端部に立地し、標高は約18m、鳥栖駅の北西に位置します。
周辺には小原遺跡、西浦遺跡、藤木遺跡が所在します。
調査対象地は以前、酒造工場があり、建物の基礎等で広い範囲が壊されており、遺構が残る部分を3区画に分けて調査を行いました。

京町遺跡全景
〈京町遺跡の発掘調査中の様子〉

 

調査では、弥生時代(中~後期)の溝2条、中世(鎌倉~室町時代)の溝3条、土坑6基と柱穴を多数検出しました。
遺物は、弥生土器(甕・器台)、土師器(皿・坏)、青磁・白磁(碗・皿・盤)、銅銭等が出土しました。
特にB区の2号土坑から中世(鎌倉~室町時代)の中国製の青磁盤と見込に「金玉満堂」と推定される陰刻のある青磁碗、中国宋代の銅銭の「至道元寶」が1点出土しました。

2号土坑 2号土坑出土土器
〈左:2号土坑、右:2号土坑で見つかった中世の資料〉


また、C区の溝からは、陶器や土師器がまとまって出土しました。
今回の調査では、鎌倉から室町期の遺構と遺物が多く認められたことで、鳥栖の中世の姿が明らかとなる発見であったといえます。

3.国指定史跡 勝尾城筑紫氏遺跡 葛籠城跡地区

鳥栖市の北西部(牛原町・山浦町・河内町)一帯には、戦国時代後期(約400~500年前)の城館群が見られます。
その中心は標高約500m地点に立地している勝尾城であり、その南麓の谷筋には多くの城や館、寺院などが点在しています。
領主は、北部九州で強大な力を発揮した筑紫氏で、約90年間にわたって本拠としました。

葛籠城の空堀 中世の土師器と小刀
〈左:葛籠城跡で見つかった空堀、右:戦国時代の土師器と小刀〉

今回、調査を行った葛籠城跡は、城館群の南に位置した支城で、平成8年度と16年度に重要遺跡範囲確認調査を実施しています。
その際、2条の空堀・土塁、主郭、屋敷などが確認され、平成17年度には国の史跡指定を受けました。
今後整備を行っていくなかで、中核となる主郭南の谷部については、諸般の事情により調査を行っておりませんでした。
そのため平成26、27年度にかけて、谷部の構造の判明を目的に調査を実施しました。
その結果、葛籠城へと向かう進入路やそれに伴う土橋、空堀・土塁の延伸、柵列等に使用されたと思われる礎石などが確認され、大きな成果を得ることができました。
遺物は16世紀後半の土師器や小刀などが出土しています。

 

皆さまのご意見を
お聞かせください

お問い合わせやご提案などは、メールやWEB提案箱をご利用ください。

お求めの情報が充分掲載されていましたでしょうか?
ページの構成や内容、表現はわかりやすかったでしょうか?
この情報をすぐに見つけられましたか?