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企画展「平成25年度発掘調査成果展-埋もれた鳥栖の弥生時代を探る-」

記事ID:0053347 更新日:2022年12月19日更新 印刷ページ表示
<外部リンク>

 開催期間

平成26年6月18日(水曜日)~7月4日(金曜日)

H25成果展会場風景

はじめに

緑と水が豊富で、交通の要所として知られる鳥栖市は、古くから人びとが住みつき、さまざまな人と物、そして文化が行き交う「歴史・文化の交差点」でした。
このことは、地下に眠る数多くの遺跡からもわかります。
遺跡は可能な限り保存し、次の世代に残していきたいものです。
そのため、土地の開発にあたっては遺跡の保存に努め、やむを得ず保存が難しい部分に限って発掘調査を実施して、出土した遺物や記録などを保存することで、開発と文化財保護との調整を図っております。
平成25年度は、村田町の村田三本松遺跡と藤木町の藤木遺跡の2ヵ所で発掘調査を実施しました。
いずれも弥生時代の遺構や遺物が検出されました。
とくに、藤木遺跡からは青銅器の鋳型が見つかるなど、大きな発見がありました。
今回の展示会は、こうした調査の成果を市民のみなさまへいち早く紹介する目的で開催するものです。
本展示会が市内に所在する歴史的文化遺産に触れる機会になりますとともに、郷土の歴史や文化財に対する理解の一助となることができれば幸いです。

1.村田三本松遺跡

   【所在地】   村田町字五本松
   【遺跡の時代】  弥生時代
   【種類】    墳墓跡
   【調査面積】 約80平方メートル
   【調査期間】  平成25年11月~12月

   【調査の成果】
村田三本松遺跡は、以前の調査で主に縄文時代~古墳時代の墓地や集落などが確認されています。
今回の調査地点は、沼川左岸の標高約17mの河岸段丘上に立地します。
約80平方メートルを調査した結果、弥生時代前期末~中期後半(およそ2200~2000年前)の墓地がみつかりました。
朝日山の南側、沼川の左岸の低位段丘一帯には弥生時代の墓地が広がっていることが以前の調査等で知られていますが、
今回の調査では甕棺墓(かめかんぼ)25基(うち小児棺墓12基)、土壙墓(どこうぼ)3基、性格不明の土坑1基を検出しました。
甕棺墓は、全体として調査地区の北西から南東方向へ列状に並んでいる状況を示しており、墓域は調査地区外のそれぞれの方向に延びているようです。

村田三本松遺跡の全景
〈調査中の村田三本松遺跡〉

調査の成果としては、甕棺墓のひとつ(およそ2200年前)から、細形銅矛の先端部切先が出土したことが挙げられます。

銅矛の先端が見つかった様子(再現イメージ)〈銅矛の先端が見つかった様子(再現イメージ)〉

これは副葬品ではなく、被葬者の体内に刺さった状態で埋葬されたと考えられ、
こうした副葬ではない武器の墓からの出土は、鳥栖市内ではこれまでに24例があります。
弥生時代の社会やくらしのイメージとして、のどかな農村風景とは別の「戦い」が存在したことを生々しく物語っています。

 

2.藤木遺跡

   【所在地】   藤木町字北浦
   【遺跡の時代】 弥生時代
   【種類】    集落跡
   【調査面積】 約350平方メートル
   【調査期間】 平成26年1月~3月

   【調査の成果】

遺跡は東に前川が流れる標高14mの低位段丘上に立地し、調査地点は藤木町字北浦、ベストアミニュティスタジアムの南東約50mに位置します。
周辺では、鳥栖駅東区画整理事業のときに発掘調査を行っており、弥生時代から中世にかけての集落跡と墳墓跡を確認しています。
今回の調査の結果、弥生時代後期の溝を1条検出しました。
この溝は平成6年度に調査した同時期の溝に連続するものとみられ、集落全体を取り囲む環濠(かんごう)とみられます。
藤木遺跡は過去の調査で弥生時代~中世の集落や墓地などが確認されていますが、
今回調査を実施した地点は大きく削平をうけているため、遺構の残存状態は悪く、これ以外に遺構は検出されていません。

藤木遺跡全景
〈上空から見た藤木遺跡の様子〉

遺物は溝の中から土器や石器、鉄器などが投げ込まれたような状態で出土しましたが、これらに混じって、青銅器の石製鋳型が4点出土しました。

環濠から出土した弥生土器〈環濠から出土した弥生土器〉

青銅器の鋳型 青銅器の鋳型の図面
〈青銅器の鋳型の写真(左)と図面(右)〉

鋳型の種類は銅釦(どうこう)1点、銅鏃(どうぞく)2点、銅釧(どうくしろ)2点です。
銅釦と銅釧は一部の破片ですが、銅鏃は2点ともほぼ完形で出土しました。
特に銅釦は、これまで製品が佐賀県で4点、熊本県で4点、長崎県で1点、京都府で1点の計10点出土していますが、鋳型は全国初の出土例となります。

鳥栖市内では、これまで柚比遺跡群や本行(ほんぎょう)遺跡から弥生時代中期の青銅器鋳型片が出土していますが、
今回の調査で藤木遺跡から後期の青銅器鋳型が出土したことで、後期の段階でも青銅器の生産が継続していたことが判明しました。
また、現在の藤木町一帯に、鳥栖地域の弥生時代後期における大規模な環濠集落が存在したことがわかりました。
鳥栖地域のみならず北部九州における弥生時代社会を探るうえで、重要な成果といえます。

 

 

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