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企画展「新指定鳥栖市重要文化財~対馬宗家田代領関係資料~」

記事ID:0055980 更新日:2023年2月15日更新 印刷ページ表示
<外部リンク>

開催期間

平成26年3月1日~13日

展示状況1 展示状況2

はじめに

鳥栖市教育委員会では、これまで優れた美術工芸品や石造物、歴史的に重要な資料を重要文化財に指定し、将来にわたって保護するとともに、その活用に取り組んでおります。
今年度は新たに「対馬宗家田代領関係資料」を鳥栖市重要文化財(歴史資料)に指定しました。
市の指定文化財は、本件を合わせ24件となり、国や県指定の文化財を加えると41件となります。
(*注・いずれもこの展示開催時の件数です)
今年度の文化財成果展は、この「対馬宗家田代領関係資料」を、関連する資料とともに市民のみなさまに公開する展示会を開催します。
本展示会が市内に所在する優れた歴史的文化遺産に触れる機会になりますとともに、郷土の歴史や文化財に対する理解の一助となることができれば幸いです。

新指定重要文化財「対馬宗家田代領関係資料」について

今回鳥栖市重要文化財に指定された「対馬宗家田代領関係資料」は、田代新町の津田家に保管されていたもので、近世文書151点、絵図80点、落戸付木箱1点、近代文書61点の合計293点からなります。
資料は、江戸時代に対馬藩宗家の飛び地領であった田代領(鳥栖市のほぼ東半部と基山町)を統治した田代代官所の公文書と、明治時代に旧田代領に残る宗家の財産を管理・運用した広及舎(こうきゅうしゃ)の書類とに大別されます。

近世の代官所関係資料は、対馬藩が江戸時代に田代代官所を通して行なった田代領の統治について知ることができます。
特に「基養政鑑(きようせいかん)」「考鑑(こうかん)」「部類別考鑑(ぶるいべつこうかん)」は、代官所の日々の業務を記した「毎日記(まいにちき)」を編纂したもので、代官所による領地支配と当時の人々の生活を知ることができる点で貴重です。

近代の広及舎関係資料は、東京在住の大名華族が、その旧領地の財産管理組織と連絡を取りながら、資産の運用を図っていたことを知ることができる資料として重要です。
津田家は、広及舎の社員として運営の実務にあたっていたため、代官所文書および広及舎文書の一部が津田家に保管されていたと考えられます。
平成14年に津田家当主より市教育委員会が寄託を受けました。
なお、田代代官所の公文書や広及舎関係の資料は、今回指定した津田家保管のもの以外に、田代代官所作図2点(鳥栖市重要文化財)のほか、市内の数か所で存在が確認されています。

また、対馬宗家関係資料は、対馬歴史民俗資料館(約72,000点)、大韓民国国史編纂委員会(約28,000点)、九州国立博物館(約14,800点)、東京大学史料編纂所(約3,000点)、国立国会図書館(約1,600点)、慶応義塾大学(約1,000点)、東京国立博物館(約160点)の7機関が所蔵しており、このうち九州国立博物館、国立国会図書館、慶応義塾大学、対馬歴史民俗資料館の資料は、国の重要文化財に指定されています。

対馬藩田代領と田代代官所

肥前国基肄郡(きいぐん)全域と養父郡(やぶぐん)の東半部(現在の鳥栖市のほぼ東半分と基山町)は「基肄養父(きやぶ)」と呼ばれ、慶長4年(1599)から、対馬藩主の宗(そう)家が統治する飛び地領(「田代領」)でした。
その出先機関が田代宿に置かれた田代代官所で、現在の鳥栖市立田代小学校の校庭部分にあたります。

田代領の表高は約1万3千石余でしたが、文化8年(1811)に、朝鮮通信使接遇の恩賞として得た肥前国松浦郡と筑前国怡土郡の一部(「浜崎領」あるいは「両郡」)約1万6千石が代官所の統治領域に加わりました。
明治維新後は、豊前国宇佐郡と豊後国国東郡、直入郡、玖珠郡のうち3万9200石余や、旧幕府領であった松浦郡38か村、怡土郡6か村が田代代官所(厳原藩/いずはらはん)の管轄となり、明治4年(1871)7月の廃藩置県まで続きました。

代官所の長(田代代官)は「奥役(おくやく)」といい、現代の副市長に相当する「表役(おもてやく)」あるいは「佐役(すけやく)」、会計管理者に相当する「賄役(まかないやく)」とともに対馬本藩から派遣されていました。また、現地登用の代官所役人(地役)は、通常5~6人の「手代役(てだいやく)」と、その下に「諸役(土地方吟味役・用銀掛・請払留役・祐筆役・東明館掛・考鑑方・作事掛・山方役・目付役・玄関番)」がいました。諸役にはそれぞれ見習・助勤・仮役が補佐しました。そのほか、足軽級の「三組」(御門番・使番・小人)や買物番などがいました。

領内は「三郷両町(さんごうりょうちょう)」と呼ばれ、領域は基肄郡上郷(かみごう)・下郷(しもごう)、養父郡に三分し、そのうち長崎街道に沿う町場の田代・瓜生野を両町としました。
各郷には各村々の長である「庄屋」をまとめる「大庄屋(おおじょうや)」が、両町には「別当(べっとう)」「座親(ざおや)」が任命されました。

津田家門 出土磁器
〈(左)代官所のものと伝えられている門、(右)発掘調査で見つかった代官所の食器〉

田代代官所毎日記(たしろだいかんしょまいにっき)

毎日記

安政2年(1855)。田代代官所の業務日誌ともいうべきもので、通常は手代役の指導で祐筆役が筆記していました。
「安政二年卯 正月毎日記」と「安政二年卯 二月毎日記」を合冊した本書のみが唯一現存します。

基養政鑑 附基養鏡函(きようせいかん・つけたりきようかがみばこ)

基養政鑑

寛政11年(1799)編纂。
田代代官所の企画により、延宝4年(1676)から寛政3年(1791)まで116年間分の「田代代官所毎日記」の記事を抜粋・編纂したもので、過去事例の検索を容易にするために各巻頭には「目録(見出し目次)」を掲載しています。
本編は全6冊で、「基養鏡函」という書名の付編1冊でセットとなっていますが、惜しくも第1巻が失われています。
なお、同様のものが「日記抜書」という書名で対馬藩庁に提出されており、現在は「宗家文庫」の中に収められています。

木箱・落戸(おとしど) 

江戸後期。
「基養政鑑・附基養鏡函」を収納保管する箱(落戸)で、田代代官所の備品で唯一現存するものです。
おそらく本家内の「考鑑の間」の棚に備えられ、考鑑や部類別考鑑などとともに考鑑方が管理して過去事例の検索等に用いていたものとおもわれます。

正保絵図内田代領付近之写絵図(しょうほうえずのうちたじろりょうふきんのうつしえず)

正保絵図
 元禄11年(1698)の作成。

正保絵図確認絵図(しょうほうえずかくにんえず)

確認絵図

園部村の部分が 空白ですが、これは柳川事件(対馬藩内の内紛をきっかけに日朝通商の国書改ざんが明るみにされた事件)の仕置として減知(没収)されたためで、園部村は寛永12年から正徳元年(1635~1711)まで77年間、幕府の直轄領でした。

田代止宿之阿蘭陀人騒動記録(たしろししゅくのおらんだじんそうどうきろく)

オランダ人騒動記

元禄2年(1689)。この年1月19日に起こった、オランダ商館長の江戸参府に随行した長崎奉行配下の検使が田代宿の上使屋(長崎奉行はじめ旗本や大名の宿泊・休憩施設)に宿泊中、大通詞(通訳)を殺害し、さらに1名に傷を負わせた後に自害した事件の調書。
全3巻の下巻のみ現存しており、事件当時の上使屋(西棟)の間取りなどがわかります。

考鑑(こうかん)

考鑑

「基養政鑑」が「田代代官所毎日記」の抄録であるのに対し、「考鑑」は日記中の主要記事を見出しの形で書き出したものです。
現在、享保14年(1729)~文化3年(1820)分の15冊が現存します。

部類別考鑑(ぶるいべつこうかん)

部類別考鑑

編年体で見出しを書き出した「考鑑」の記事を、さらに部類別に編集して、より容易に過去事例記事が検索できるようにしたものです。
編纂作業は明治初年まで継続され、享保元年(1716)~慶応4年(1868)分の29冊が現存します。

田代代官所指図(たじろだいかんしょさしず)

代官所指図

享保9年(1724)のものと弘化4年(1847)頃のものがあり、ともに田代代官所の作事掛を務めた家に伝えられてきたものです。
田代代官所の建物は幕末に全面改築されていますが、文献には弘化4年(1847)に指図を対馬本藩に提出したことが記されており、その控えとみられる本図もこの頃の作成と考えられます。
普請は嘉永2年(1849)に始まり、嘉永4年(1851)1月に竣工しました。

広及社(舎)請払帳(こうきゅうしゃうけはらいちょう)

広及舎に関する史料

明治7~42年(1874~1909)。
広及舎は、江戸時代対馬藩の藩主宗家が旧田代領に所有する土地などの財産を管理・運用した団体です。
明治7~8年頃、主法方製産場の建物を改築して事務所を置きました。
明治14年頃まで田畑の集積を行い、明治20年頃から東京に居住する宗家へ純収益の約2/3にあたる1,000円前後を送金していました。
明治20年代から30年代にかけて広及舎の経営を主に行っていたのは、八坂直蔵・古賀寛二・篠原牧太の3名で、当初は対馬藩の家老・大島友之丞(おおしまとものじょう)の指示を受け、明治20年代には宗家の家扶(かふ:華族の実務・家計をおこなった人)・尾崎延太郎(おざきのぶたろう)と頻繁に連絡を取りながら経営にあたりました。

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