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市指定重要文化財(石造建造物) 田代宿の追分石2基を紹介します
田代宿の追分石(たじろしゅくのおいわけいし) 2基
追分石(田代昌町)
追分石(田代外町)
- 【所在地】 鳥栖市田代昌町・田代外町
- 【指定日】 昭和49年5月13日
街道が左右に分かれる道しるべとして建てられた石を追分石(おいわけいし)といいます。
江戸時代、田代宿は轟木宿とともに長崎街道の重要な宿場でした。その田代宿の東口(田代昌町)と西口(田代外町)に、それぞれ追分石があります。それぞれ高さは約1mほどで、自然石が使用されています。
東口のものは「右‐ひこ山、左‐こくら、はかた道」と彫られており、享和2年(1802)の尾張の商人である菱屋平七(ひしやへいしち)の旅日記「筑紫紀行」に記述があります。また西口のものは、東口と同じ書体で「右‐さか、左‐くるめ道」と彫られており、文化2年(1805)の大田南畝(蜀山人)(おおたなんぽ;しょくさんじん)の「小春紀行」に記述があります。
これらの記録から、現存する追分石は1800年頃には建立されていたことがわかります。
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